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偏ってる

先日、私の職場に、とてつもなく大きいトラックがやってきました。幅3メートル・縦幅は軽く15メートルはありました。写真を撮れなかったのが惜しいくらいです。

中身は、車椅子から、松葉杖から、おもちゃから、洋服から、カーテンから、おむつまで、大量の寄付物資でした。ほとんどすべてアメリカからのものだったと思います。(ちなみに施設創始者であるシスターはアメリカ出身)

これらの物資はその後、この施設の活動のために使われたり、障がい児を持つ貧困家庭に配られたりします。

それにしても、あまりにも大量すぎて、ものを取り出しても取り出しても先が見えないという感じでした。おかげでニカラグア男性のたくましさを実感することができました(笑)

ふと思いました。

トータルで考えて“モノ”は、世界中にはたくさんある!
ただ、それが置かれている場所がひたすら偏ってるんだ!!


・・・と。

“寄付”と聞くとすごくいい響きがしますが、それは当り前のこと、当たり前のモノの流れなのではないかと思いました。モノがたくさんある場所から、ない場所へ。砂場に山と谷があったら、シャベルで山を削ってその土で谷を埋めて平坦にするような・・。

でも、どうでしょう、

そのモノたちは自分たちが一生懸命生み出したもので、それを誰かに無償で与えるのは当たり前の行為ではないかもしれない。温かい思いがあってこそできる行為かもしれない。

自分たちが汗水たらしてつくったものでないが、必要なものだしお金もかからないなら、もらえるならもらいたい、と感謝の気持ちなしにモノを受け取ることは当たり前の行為ではないかもしれない

そう考えると、単に砂場の山と谷にたとえられる話ではないのか。

しかし、与えるほう・受けとる方の人間両方が、同じように人生を一生懸命に生きていたとして、そのなかで余裕と不足があるのなら、それは埋め合わさせるべきなのではないか、と感じずにはいられませんでした。

トラック一つから、学べることは多いですね。

私は「いただきます」と「ごちそうさまでした」という言葉(行為)が好きで、ニカラグアでも続けています。おいしくご飯が食べられる幸せを感じ、そして目の前にご飯が準備されるまでの過程を想像するのが楽しいからです。誰がこの豆を栽培したんだろう・・この卵はどこで産まれたんだろう・・なにを考えながらチーズを揚げたんだろう・・。
こんなこと考えなくてもご飯はおいしく食べられるかもしれませんが、ご飯の向こうにヒト(生き物)の姿が浮かぶと、感謝の気持ちをもたずにはいられません。

トラックも同じかもしれません。
トラックに寄付物資を荷積みするときに、ニカラグアの人たちの姿を思い浮かべられたら・・
トラックから荷降ろしするときに、寄付してくれた人の姿を思い浮かべることができたら・・

穏やかな気持ちで、謙虚な気持ちで、気持ちよく世界が平らになる・・かもしれません。
なったらいいです。

masakoDSCF6603.jpg

マタガルパの風景です。見晴らしがとてもいいです!
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原爆の日

8月6日は、広島出身の私にとって特別な日です。(もちろん他にも特別な日はたくさんありますが)

広島では、8月6日が近付くとテレビやラジオでは特別番組が組まれ、祈念式典も大々的に行われ、特別な雰囲気を感じられます。広島ではなくても、平和式典の様子をニュースで見かけたりし、しみじみと原爆の落とされた日に思いを巡らせることがよくありました。

しかし、ところ変われば8月6日への感じ方が少し変わります。

2007年、去年の8月6日は、韓国で迎えました。

70年近くも前の戦時中に性的被害を被った女性たちが共同生活しているところで、日韓の学生が集って、戦時性暴力・日韓関係について・これから私たちの世代がどう関わっていくか・などについて討論する合宿に参加していました。

このとき、素直に黙とうするのをためらったことをよく覚えています。
どうしてできなかったのか。これまで原爆の日には、広島の被害のことしか考えてこなかったからです。日本も戦時中には他国の人々に対して、同じ日本人に対してもむごいことをしてきました。その認識なしに、原爆の日を語れないのではないかと感じたのです。

とはいえもちろん、原爆はおぞましいもので、許されないことだし二度とあってはならないという思いは変わりません。

2008年、今年の8月6日は、ニカラグアで迎えました。

多くのニカラグアの人は、広島に原爆が落とされたことを知っています。歴史の授業で教えられるそうです。なので、「日本のどこの出身なんだ」と聞かれたとき、「広島出身だ」と答えると、多くの人から「原爆が落とされたところだろう」と返ってきます。「いまも苦しんでいる人がたくさんいるんだ」と言うと、驚かれます。苦しみとは、身体的なものだけでなく精神的なもの、経済的なものも含んでのことですが。ニカラグアの人たちは、原爆の話にとても興味をもって、親身になって聞いてくれます。
当事国の日本でも、長い時が過ぎれば風化しかねない出来事、風化させられようとしている出来事がたくさんあります。原爆が投下された日にちがわからない人も多くいると聞きます。わたしも広島に生まれていなかったら、例外じゃないかもしれません。
けれど、なんとなくだけど広島に原爆が落とされたことを知っている人がニカラグアにたくさんいて、そして若いちんちくりんな日本人(私)が原爆投下についてちょっと知っていて、ニカラグアの人に原爆の話をするとします。(個人的な見解というよりは、基本的な情報を・・)その話は、ニカラグアの人たちの原爆に対する知識を少し鮮明にするかもしれません。原爆について・戦争について思いを巡らせるきっかけになるかもしれません。長い年月を超えて、風化と逆のことが私の身の回りで起きるかも・・と思ったら、すごいことだなぁと感じます。
ニカラグアでも、29年前まで、内戦がありました。同じ職場の方で、親戚を戦争で亡くされた方もいます。原爆の話も、ニカラグアの内戦の話もひっくるめて、こっちの人といろいろ話ができたらなぁと思っています。まだ私の頭と耳が追い付きませんが(笑)

2009年の8月6日は、何を思うのでしょうか。

最近の生活

マタガルパに来て、3週間が経ちました。少しづつ行動範囲を広げていっています。マタガルパ市は意外と広いです。といっても、広島でいうと中区ぐらいの規模でしょうか・・よくわかりませんが!

日々の生活について書きたいと思います。

私はいま、カトリック教のシスターが14年前に始めた、障がいを持つ子どもとその母親(父親)を支援するNGOの施設に通っています。このNGOはとてもたくさんのプロジェクトを進めています。

・障がい児対象の教室(特別支援学校にも行けない子どもたちのため)
・食堂(子どもたちや母親たちや職員たちに無料で昼食提供、働いているのも母親たち)
・リサイクル紙の仕分け施設(障がいをもっているが単純作業はできる方たちのための仕事場)
・食糧雑貨屋さん(働いているのは母親たち)
・ヨーグルト製造販売(無添加でおいしい!教室に通う子どもたちに毎日配ってます)
・車椅子の修理工場(車椅子を使いながらも、耳が聞こえない方々も、たくましく働かれてます)
・絵画販売(障がいを持った方々が書いていますが、各国からの専門家の方の指導によってか、みなさん腕はピカイチですばらしい作品だらけです)
・理学療法室(予約をとれば障がいを持っている方だれでも治療を受けることができます。スペインからもボランティアで理学療法士さんが来ています。週に2回、乗馬療法もあります)
・母親会議(各地域で障がい児をもつ家庭の母親代表を決めて、月に一度会議をして情報共有)


細かく言えばいろいろあるのですが、とにかくたくさんのことをしている、活発で組織もしっかりした施設です。そしてみなさん、よく働かれるんです!!中米の地方都市なら働き者は少ないのではないか、という私の失礼な偏見はぶっ飛びました。お母さん方は、生活がかかっています。

私の最近の一日の時間割は、
5:45 起床
6:30 水シャワー
7:00 朝ごはん
7:50 家を出る(職場まで歩いて3分)
8:00~12:30 学習教室で子どもたち(3~11歳)と勉強したり、格闘したり、遊んだり・・
12:30 子どもたちが朝食を終えて帰宅した後、静かに昼食
1:30~ 午後はもうちょっと年上の子どもたち(14~18)と勉強
4:00~ お母さん達の識字教育(読み書きをできないお母さん方が結構います)に参戦し一緒に言葉を学ぶ
5:00 職場を去る
5:00~ふらふら散歩したり・・・
6:30 晩ご飯
7:00~ 大好きな家政婦Mさんとテレビ見たり、部屋で過ごしたり・・・
10:30頃 就寝


いまはこのスケジュールでいっぱいいっぱいです。毎日疲れてしまうので、よく眠っています。もっと言葉や仕事に慣れてきたら、時間を上手に使えるようになるかもしれません!

子どもたちと接するのがとても難しいです。
いろいろな障がいを持った子がいるのですが、知的には問題ないがうまく言葉が話せないという子が多いです。そして子ども同士でよく喧嘩をします。手がすぐに出ます。仲良く、助け合ってほしい・・。けど私もうまく注意することができず、逆に面白がられてよろしくない行いを助長してしまうことがしばしば。どうやったらその行為を良くないものだと認識してくれるのか・・。自分の経験のなさを嘆いてもどうしようもないので、周りのベテランの先生方のやり方を見ながら一緒に話しながら素直に学ばせてもらおうと思います。いちばん悔しいのが、子どもたちが一生懸命話してくれた言葉を、私の語学力の無さから聞き取れないことです。・・・もうちょっと待っててね!!
しかし、何と言っても子どもたちはかわいい・・!!思わずこっちが笑顔になってしまいます。

とにかく自分ができることから、できることからと言い聞かせながら毎日過ごしながらも、自分の実力を思い知らされると正直ガックリくることもありますが、こういう難しさを感じるために私はここに来ているんだと思うと、悩みながらもわくわくしています。そして家に帰ると、私の名字を声高々に叫んで出迎えてくれる家政婦Mさんに癒されながら元気にやってます(笑)

先日、同じ時期に協力隊としてとある国に派遣されている方のブログを見て、いくつかのことばが心に残りました。断片的すぎますが。

過大評価をせず、過小評価をせず。

2年後か、もっと先の自分を見据えながら活動する。

自分に負けない。


・・・「自分に負けない」という意味が、最近やっとわかったような気がします。
いまは目の前のことでいっぱいいっぱいになっていますが、そのように一生懸命になることも必要だと思うし、しかしそれと同時に、雲の上から自分の行動を見るような感覚ももっていたいなぁと思っています。


おまけ
最近、念願のギターを買いました!!
先生を見つけてこつこつ練習したいです(笑)

masakoDSCF6602.jpg

職場です。とてもかわいい公園があります!今度はもうちょっといい角度から写真撮ります(泣)


マタガルパ

任地に着きました。

といっても2週間くらいたってしまいましたが。。
ネット環境がまだ整っておらず、なかなか更新できずにいます。

マタガルパは爽やかな気候で、雨が降った時にはすこし寒さを感じるくらいです。

この前、野球場で野球を見てきました。
ちっちゃな球場で、観客も推定400人ほど。

まるで広島市民球場でのカープの消化試合を見ているようで、なんだか懐かしく思いました(笑)

言葉がまだうまく通じず歯がゆい思いをしながらも、時に考え込みながらも、元気に楽しくやっています。とてもいい人たちに恵まれ、幸せに思っています。

ニカラグアにいるんだなぁ、、。
1日1日を、大切に過ごします。

Extra

プロフィール

Author:PONPANMAN
1987年3月生。
小学生の頃から、“変人になりたい”と切望。現在まだ、変人になりきれない凡人。たくさんの人間に恵まれて、ここまで大きくなりました。そして高校の時からなぜかあだ名が“ポン”に。現在、横浜の某大学を休学して、青年海外協力隊として二カラグアに在住。

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