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日々のつぶやき

開発援助というのは、
先進国の、エゴというか、
自作自演の物語でしかないのではないかとニカラグアに来て思った。

もともとお金と資源おもっている国(または資源を持つ国を支配している国)が優位な自由競争を始めて、
もともと競争に参加すらできないような国と差をつけておいて、
どうしようもないところまで来て、
貧困国に援助して開発支援をしなくては!という流れなのであれば。

しかも、その支援の行先は、"世界と競争できる国"にすること。なのか。

理不尽に差をつけておきながら
情をかけながら
さらに、そういう理不尽に差をつける競争社会へ巻き込むお手伝い?


こんな言い方は本当に極端ですが、
ニカラグアで感じたこと素直に表現すればこういうこと。

などという批判的な考えをもったとしても、
実際の貧困国の状況は大変であることには変わりないので、
金を持っている国が援助していかなければいけないことは必然。

ただ、


なんだかそういう視点を欠いたまま
謙虚な姿勢なしに
"いかに良い支援ができるだろうか" "途上国で開発教育をうまくすすめるには"
などと考えることに気持ち悪さを感じるようになってきた。





いろいろな物事を考えるにしても、
押さえておかなきゃいけない視点というのがある気がします。


個人単位であれば"ひとりの人間"としてみんな同じ位置に並んでいるのに、(並んでいなくてはいけない)
国、先進国、途上国、会社、、、団体になるとその間に微妙な上下左右関係が生まれてきて、
それに属している以上ある程度の立場や考え方や価値観(共通認識)がその構成員に流れ込む。

けど、一度それを取り払って、ポツンと立ってみると、
客観的に物事を見てみると、
見えてくること感じることがあるなぁ、と。
具体的には、私は日本から離れていることで物理的に"先進国"という殻を少々取り払っているわけです。




2年前、日本軍慰安婦として働かされた被害女性が共同生活する"ナヌムの家"(韓国にある)というところへ行った時に、慰安婦問題に長年かかわってきた、というよりは被害女性に長年寄り添ってきた韓国の青年と話す機会があり、その人の言葉にすごく感動したことがあった。
彼の言葉がいま余計に身に染みている。


"慰安婦問題を捉える時に、または被害女性と接する時に自分が気をつけていることは、自分の立ち位置を理解することだ。つまり、自分は加害者側と同じ男という性別を持っていること、日韓の慰安婦問題でいえば被害国の住民であること、戦争のない時代に生きてきて当時の悲惨で貧しい状況を知らないということ、、、そういう自分の立場を認識したうえで、どう接していけるのか考えることが大切な視点だと思う。"


彼は人に対してすごく丁寧で明るい接しかたをしている。
自分の立場を冷静に見つめることで、
自分についた殻を認識しつつ、
等身大の自分で物事に向かっているというイメージを彼に対してもっている。
とても素敵だと思う。
内省的なようで、彼が見ている視点はすごく豊かなのではないだろうか。


結局私は何が言いたかったのかわかりませんが、、、抽象的で感覚的な人間なもので(笑)
結論がないのが"つぶやき"ってことで許してください。


"先進国"から"国際協力ボランティア"としてやってきて"障害児家庭を支援するNGO"で活動する
私のつぶやきでした。



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用紙いっぱいに欲しいものを

気づいたら、
一か月も更新が途絶えていました・・・。
バタバタしていました。
でも元気なのでなんのご心配もなく!!




私の配属先には常に外国人ボランティアさんがやってきます。
スペインから来た理学療法士さん、フィンランドから来たソーシャルワーカーさん、ドイツから兵役代りにきた人たち・・・などなど。
とかいう私も外国人ボランティアですが、
長い間いるとどうもニカラグア人職員寄りの気分でボランティアさんを受け入れていたり(笑)
2年という長期でボランティア活動ができるというのは、協○隊事業の魅力であると感じます。

けど今回はびっくりしました。

オランダの高校生22人!!

数にびっくりです。
これじゃあ受け入れる方も大変ですよね。


話を聞くと、これらの方々は、私の配属先に一番(金額的に)援助してくれているオランダの財団が企画して青少年を派遣しているもので、隔年で私の施設やマタガルパ市の高校生と交流しているそうです。
私の活動先でも子どもたちとたくさんたくさん遊んでくれます。
というよりも、言葉は通じないけれど、お兄ちゃんの姉ちゃんたちの手をぐいぐい引っ張って遊びに巻き込んでいく、施設の子どもたちがたくましくてしょうがありません(笑)

そんなわけでここ2週間、受け入れ側の施設の方がばたばたしています。



彼らを受け入れる数日前の会議にて。

G先生(教室の責任者の先生)が突然、
「ノートいっぱいに、教室でほしいものを書き出そう!」
といいだしました。

どうやら、全部の希望が通るかはわからないけれど、今度やってくるオランダの財団が用意してくれるらしい、とのこと。そういう風に向こうから要望があったそうなのです。
なので私たちは必死に必要なものをノートいっぱいに描いていきました。

自転車
パズル
子どもたちの情報を整理するためのパソコン+メモリー
積み木・・・・

ただでさえたくさんの寄付物資(おもちゃや絵本など)が定期的に届く私の活動先にとっては、より多くの需要を考えだすのは一苦労でした・・・なんてぜいたくなんでしょう!!
こんな環境にいる協力隊員はあんまりいないでしょう。。
“お金がかからず、身近にあるものをいかに利用して継続的に活動できるか”というのが隊員活動の暗黙の了解であるようなものなのですがね。

さらに、
「現実的ではないとしても、こうなったらいいなという夢を挙げてみよう」
という更なるG先生の発言!
これもまた書き出してみてほしいとの支援団体からの要求だそう。

グループごとの学習教室が欲しい
子どもたち使用のための軽トラがほしい
ユニフォーム(通所児用&職員用)がほしい
・・・

職員みんなが夢を思い描きわくわくしていた時間・・・
けどこの施設はその夢がそんなに遠くない感じであります。

なにしろ最近、新たに小さな図書館と宿泊施設と集会所の建設が始まったところなので・・・!!

すごいですよね。

会議の最後の方で、G先生が、
「こういうお金持ちの国の人たちは、いろんなものをプレゼントするのが好きだからね」
と言っていました。

“ありがたいねー”という言葉はなく。
けれど、“本当にこれが必要なのに!!”という前に誰かにそれを与えられていると、
与えられ慣れてしまうのも当たり前ですよね。
本当に何が必要なのかわからなくなってしまいそうで。

けれど配属先長はアメリカの出身の人で、
物の受け取り方には気を配っているので、
なぜそのものが必要なのかをきちんと確認するような仕組みをつくっているのですが
(たとえば、寄付物資の中から手工芸用の画用紙が欲しい時、倉庫を管理している人に、なぜ必要かの説明・ノートへ部署の名前・サインの記入が必要)
その意図が援助慣れしてしまっている人に根本的に伝わるのはずいぶんの時間や働きかけが必要だと感じます。
とはいえ施設長さんの配慮は素晴らしいなと思います。



また別の日、施設の子の家庭訪問をしながら、
訪問担当の仕事(ソーシャルワーカー的な)をしている人と話していたら
「給料が少なくて困っている。けど給料を上げてくれとクレームを出したらもしかしたら解雇されるかもしれないから言えない。クビになったら次の仕事を探すのが大変なんだ」
との言葉。


この話を聞いて、
なぜ労働組合ができたのか、メーデーができたのか、根本的なことが少し理解できた気がしました。
つまり団体で訴える必要がある、ということですが。


話がそれましたが、


ものは十分にあるが、
職員への給料のための現金は不足しているNGO。


ものを援助する場合には、
援助する側は「なにがほしいのか」または「こういうことに使ってほしい」と条件付きで渡すことができますよね。
そうするほうが、視察に来た時目で見て確認しやすいし、援助側の意思が反映される可能性が高い。

現金を寄付して「職員の給料に」という援助の仕方のあると思いますが、実態・効果が見えにくいように思います。


いろんな援助の方法があると思いますが、
何がその施設にとって本当に必要なのか、

施設のトップの人とだけ接しただけでは実状がわからないし、
実際に現場で働いている人と接しただけでも全体が見えてこないし、
すごく難しいと思います。

2年くらい一緒に働いてみてやっと、ちょっとは見えてきそうな気もします。



もし自分が物質的・金銭的に援助する側だったら
どういう方法をとるでしょう・・・。


みなさんだったら、どういう方法を取りますか?







Extra

プロフィール

Author:PONPANMAN
1987年3月生。
小学生の頃から、“変人になりたい”と切望。現在まだ、変人になりきれない凡人。たくさんの人間に恵まれて、ここまで大きくなりました。そして高校の時からなぜかあだ名が“ポン”に。現在、横浜の某大学を休学して、青年海外協力隊として二カラグアに在住。

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